私の生まれた家は大きい家だった・・・。
はじめは小さい家だったらしいのだが・・・(サザエさんの家みたいに平屋)(笑)
私の今は亡き父が仕事仲間と増築を繰り返して大きくしたらしい・・・。
そう私の父は元大工さん!(後に「〇〇急便」に就職するが・・・)
物心ついた時は既に大きい家が完成していた。
私は母が40歳、父が48歳の時生まれた。
私と違って父は筋肉モリモリだった・・・。
父は野菜、果物も育てるのがうまくて・・・
家の庭にはブドウ、イチゴ、イチジクなどなどあった。
ブドウが熟していたら勝手に取って食べたり・・・
イチゴが熟したら食べたりと・・・(たまに間違えて野生の蛇イチゴも食べた)(笑)
父はそれがどうも気に食わなかったらしい・・・。
普通に考えれば自分の家のものだから自由に食べていいと思うが・・・
父は熟した果物や野菜を近所にくばり・・・
目の前にあったお寺さんに持って行きたかったのだ。
そ〜んなことは「プイッ!」てなヤンチャ坊主の少年時代(小1、2年頃)の私はお構いなく・・・
ある日・・・熟したブドウやイチジクなどなど・・・
友達7人くらいで食べつくしてしまった。(笑)
少しは・・・
「やっば〜っ!」と思ったけど・・・
知らぬ存ぜんで遊んでいた。
近所の犬にはシッポにヒモをつけて先端に花火をつけ火をつけ・・・
その後は・・・ご想像にお任せいたします。(笑)
夕方、父が帰ってきて・・・
ある命令が家族に下ったらしい!(私はその時その場所にいなかったのだが・・・)
突然まだ小さい私をヒョイと父が抱え・・・
庭の大きい杉の木に私をヒモでグルグル巻きにしてくくりつけた・・・。
父は無言・・・
普段も私とは余り口を聞いてはくれなかったが・・・
時間にして夜7時前くらいだったか・・・
当然お腹が減っているわけで・・・
でも私には大きいみかたがいたっ!
それは・・・
「きっとお母さんが助けてくれるんやぁ!」
と決め付けていた。
しかし・・・
一向に来ない・・・
近所のおばさんが杉の木にくくられた私を見て・・・
「あ〜ら!さとっちゃん!お仕置きされてるんやね〜」
「反省せなあかんよ!」
と笑いながら言われ去っていくし・・・
近所のおっさんは・・・
「泣いたらあかんぞ!さとっちゃんが悪いんやからな!」
とやはり笑いながら去っていく・・・。
今の時代なら当然「虐待」とされるだろうが・・・
当時はそんなことは何とも言われてなかった。
少年の私は・・・
「おい!おい!助けろよ〜!」
と思ったけど・・・(笑)
結局、母が助けにきてくれた時間・・・
夜11時頃・・・←考えられんわっ!(笑)
当然、少年ながら意地もあったから・・・
9時までは我慢したが・・・
そこからは・・・2時間ず〜っと・・・
「ビェェェ〜〜〜ン!」
と泣きまくっていた!(笑)
母は「お父さんに謝まらなあかんよ!」と言われ・・・
ホッペタを膨らませた私は父に謝った・・・
でもその時も父は無言だった・・・
あの頃はまだ母も元気だったなぁ・・・(それからしばらくして入院してしまうが・・・)
普通ならこれで懲りて大人しくするのだろうが・・・
ヤンチャな少年時代の私は・・・
しばらくは大人しくして3日くらいたったら元気になり・・・
またヤンチャなことをする。(笑)
勝手にお寺の鐘を4時とかに鳴らして遊んだり・・・(本当は6時にお寺の鐘がなる)
姉の雑誌を勝手に切って遊んで姉に飛び蹴りされたり・・・
セミを捕まえ家中に飛ばしたり・・・
まだまだ・・・やりたい放題の事をした!(笑)
その度に・・・
杉の木にくくりつけられ泣いていた。(笑)
もうひとつ・・・庭に大きい松の木もあった。
その木にもくくりつけられたが・・・
それだけは特に嫌だった!
松の臭いが臭かったからだ・・・(笑)
それを父は察知したのか・・・(黙っていたのに・・・)
それからというもの・・・
松の木しかくくりつけられなかった・・・。(爆)
それが私は嫌だったので・・・
大人しい少年(真面目な少年)になる!(笑)←マジです!
そして・・・・
今・・・・
当時の私の家はなく更地の駐車場になっている・・・。
思い出があり恐怖もあった「杉の木」「松の木」もない・・・。
近所のおばちゃん、おじさんももういない・・・。
ただ・・・
少年時代の思い出が少しは残っている・・・。
昔と変わらないお寺、鐘、落書き(すいません)・・・。
そして・・・
当時の元気だった母と父の姿だけは・・・
はっきりと心の中で思い出となって見える・・・。
「・・・・・ありがとう・・・・・。」
*********
You Tube ↓ 少年時代(井上揚水)
http://www.youtube.com/watch?v=fRk588jN43Q
2010年08月03日
2010年01月22日
私の履歴書(友人)
「私の履歴書」・・・・・。
3回目書きます。
携帯でこのブログ見ておられる方も多いと思います。
PCだと「カテゴリ」で見れるんですが携帯では見れないので過去の「私の履歴書」貼り付けます。
1、http://satoshi090.meblog.biz/article/2025636.html
3回目書きます。
携帯でこのブログ見ておられる方も多いと思います。
PCだと「カテゴリ」で見れるんですが携帯では見れないので過去の「私の履歴書」貼り付けます。
1、http://satoshi090.meblog.biz/article/2025636.html
2、http://satoshi090.meblog.biz/article/2092091.html
↑見た方はスルーして下さいね。
私は高校2年の時母が他界してから父と2人暮らしになり、
ある父への反感(今思うと私が悪かった)で不良の道も通った事もあります。
その時の友達も今はおっさん!今でも仲良くしています。
そして20代中頃から現在も活動している「海外ボランティア」と出会います。
色んな人との出会いがあり大半は今も友達でいます。
そして、私が辞めた仕事の友達・・・。
福井市を中心に今でも交流があります。
そんなこんなで、敦賀市へ来たのは6年半前・・・。
敦賀へ来た時の仕事は辞めていますが今でも敦賀の前の会社の友達とも交流があります。
その仕事仲間で、私が4年前くらいに友達に紹介した女性と結婚した友人がいます。
現在は彦根に住んでいますがお嫁さんの実家は敦賀市で・・・、
一昨日、敦賀市で2人目の子供さん(長男)が生まれました!
「T君」!おめでとう!

私が愛のキューピットになりお付合いが始まり結婚して家族が出来、人生を歩んでくれる・・・。
何か不思議だけど・・・・、
私も幸せに思うんですよね〜。
私は7年付き合った女性がいて別れてからというもの・・・、
それから恋愛にはまったく縁がまだないんだけど・・・・、
敦賀市へ来た時、いっぺんで一目惚れに落ちた女性がいて・・・、
約3年間口説いたけど(笑)結局諦めて今は仲の良い友達!(彼女は27歳)
今は幸せになって欲しいと多々思う今日この頃です。
その敦賀市に来て辞めた仕事の友達と今日は「新年会」です。
長男が無事生まれたT君も来るし、女性の方2名も来るし・・・、
もちろん!現在27歳の一目惚れした子も今日来ます

みんな今は仕事はバラバラになったけどまとまりはあるんですよね〜(笑)
私は以前記事に今の若者に向けてこんな事書きました・・・。
↑見た方はスルーして下さいね。
私は高校2年の時母が他界してから父と2人暮らしになり、
ある父への反感(今思うと私が悪かった)で不良の道も通った事もあります。
その時の友達も今はおっさん!今でも仲良くしています。
そして20代中頃から現在も活動している「海外ボランティア」と出会います。
色んな人との出会いがあり大半は今も友達でいます。
そして、私が辞めた仕事の友達・・・。
福井市を中心に今でも交流があります。
そんなこんなで、敦賀市へ来たのは6年半前・・・。
敦賀へ来た時の仕事は辞めていますが今でも敦賀の前の会社の友達とも交流があります。
その仕事仲間で、私が4年前くらいに友達に紹介した女性と結婚した友人がいます。
現在は彦根に住んでいますがお嫁さんの実家は敦賀市で・・・、
一昨日、敦賀市で2人目の子供さん(長男)が生まれました!
「T君」!おめでとう!
私が愛のキューピットになりお付合いが始まり結婚して家族が出来、人生を歩んでくれる・・・。
何か不思議だけど・・・・、
私も幸せに思うんですよね〜。
私は7年付き合った女性がいて別れてからというもの・・・、
それから恋愛にはまったく縁がまだないんだけど・・・・、
敦賀市へ来た時、いっぺんで一目惚れに落ちた女性がいて・・・、
約3年間口説いたけど(笑)結局諦めて今は仲の良い友達!(彼女は27歳)
今は幸せになって欲しいと多々思う今日この頃です。
その敦賀市に来て辞めた仕事の友達と今日は「新年会」です。
長男が無事生まれたT君も来るし、女性の方2名も来るし・・・、
もちろん!現在27歳の一目惚れした子も今日来ます
みんな今は仕事はバラバラになったけどまとまりはあるんですよね〜(笑)
私は以前記事に今の若者に向けてこんな事書きました・・・。
「既に引かれたレールを走るか・・・」
「自らレールを引いて走るか・・・」
「どちらの選択も走るのは他人でも親でもなく・・・」
「自分自身だと思います・・・」
「自分の人生よく考えて下さいね。」
「自らレールを引いて走るか・・・」
「どちらの選択も走るのは他人でも親でもなく・・・」
「自分自身だと思います・・・」
「自分の人生よく考えて下さいね。」
と・・・・、
私なりにカッコイイ事書いてしまいましたが・・・、
私は今までを振り返ると・・・、
母親を早く亡くし父親も仕事ばかりだったので家族の愛を余り知らない・・・。
でもその知らない分、色んな友達が私を支えてくれました。
私は自分からレールを引いて走って行かねばならない方です。
でも時には疲れて悩んで走るのが止まりそうに何回もなります。
そんな時・・・、
沢山の先輩や後輩や同級生達が止まりそうな私を後ろから押してくれて助けてくれました。
本当にありがとう!感謝しています。
でも走るのは誰でもなく私自身だから頑張らないとね!
逆に私の友達が・・・、
レールの上を走っていて止まりそうになったら・・・、
私も一番に駆けつけて後ろから押しに行きますから!
これからも沢山の友達みんな!こんな私だけど宜しく!
友達は私の一番の財産です。
今が幸せな友達・・・、
離婚して子供さんを抱えて仕事して頑張っている友達・・・、
給料が安くて昼も夜も働いて生活している友達・・・、
外国で一生懸命ボランティアをしながら生活している友達・・・
まだまだ色んな友達が私にはいるけど・・・、
頑張っていこうね!
最後に・・・・、
私がもし・・・・、
結婚!する時は・・・、
全ての友達を呼びますから覚悟しておいて下さい!(笑)
そして・・・
この私の「雑遊日記」を読んで下さっている皆さんも・・・・、
私にとって大事な人達です。ありがとうございます!
***********************
You Tube ↓ ゆず 「友達のうた」
http://www.youtube.com/watch?v=6LGvxoyHndY
2009年12月10日
私の履歴書・・(母)
先週、私の福井の友人のお母さんが亡くなられた・・・
そして今日、辛い思いを私に1時間ばかり電話してきた・・・
励ますというより友人のこれからの人生をアドバイスした。
アドバイスできる様な人間では私はまだまだ未熟なんだけど思った事を伝えた。
電話を切ったあと・・・
私の母の事を思い出してしまった。
私は母が40歳の時生まれた。
周りの人は高齢もありおろしたらと言われたらしいけど・・母が拒否し続けたらしい。
私が小学2年の時・・・母が胃の具合が悪く始めて入院をした。
余りにも寂しいので母の病室で泊まって1ヶ月間病院から学校に通った事もあった。
それから中学2年まで入退院、手術を何度も繰り返し・・・
ある日突然余り喋らない父から母の命があと1年くらいしかないと告げられた。
そんな信じられない事を父から聞いた時何を思ったのか今も記憶がない・・・
ただ・・明日から母に対しどう接したら良いのかわからなかった・・・
急に優しくするのも変だし・・・かなり悩んだと思う・・・
中学3年に入る頃・・・母がまた入院をした・・・
同時に私が「膀胱結石」という病気にかかりすぐ手術をしなければならないと言われ・・
私も緊急入院した。
母とは病院が違ったけど母は無理に外出届けを出し
ず〜っと病院に泊まり私を看病してくれた。
前にも書いた事があるけど・・・
いつもの母の言葉・・
「さとし、あんた辛いやろ?でももっと世間にはさとしより辛い人が沢山いる。みんな頑張って治そうとしているんやからさとしも負けたらあかんよ!」
母の命もあと1年と既に父から聞いている私はその時何を思ったのかは不思議だけど覚えていない。
でもその時の母の言葉はしっかり覚えている・・・
私の手術は無事終わり母はまた入院している病院に戻った・・・
その頃の私の家は普通の家より少しお金持ちだったと思う・・・
姉はすでに結婚していて母が入院しているので実家は父と私だけなので食事を作る為に近くに家を借り住んでいてくれた。
母の病名は「胃癌」・・・
当時はまだ医療が進んでいなくて・・・
「放射線治療」がやっとできてお医者さんに勧められ父もお願いして当時では最先端の治療を母に受けさせた。
しかし高額な医療費が私の家に直撃した。
「丸山ワクチン」というのも父が手配してきた。あらゆる薬を父が聞いて手配してきた。
お金が底をつくと父は仕事の社長さんに退職金を前借してまで母の治療費にあてた。
そのおかげで母の1年しかないといわれた命が延びた・・・
私も完全に治ったのではないかと喜んでいたと思う・・・
一時的に退院もして明るい家庭が戻った。あの頃が一番うれしかったなぁ〜
私が高校1年秋・・・母が突然倒れふたたび入院・・・
3回目の手術をした・・・
手術した時、すい臓に癌が移転しててもうどうすることもできなかった・・
そして・・・私が高校2年生の春・・・・
病室で・・・母との最後のお別れ・・・
たぶん私は泣かなかったと思う。泣きたかったかもしれない・・涙はでなかった。
なんでだろう・・・
お通夜が終わり・・・
その夜、余り喋らない父がトイレに入って泣いていた声を聴いて・・
その時・・始めて私も泣いたと思う。
それからというもの母がいない寂しさもあったのか不良の道に進んだ事もあった。
しかし悪いのは自分自身の気持ちの問題!誰も悪くはない。
ここでは書けないがある事で父への反抗心をもって家を飛び出したこともあった・・
時が過ぎ・・・父も亡くなり十数年・・・
今でも、病院で病気で亡くなるドラマや映画はいっさい私は見れない。
あの病院での母との別れを思い出すから・・・
今でも1人暮らしをしている私だけれど・・・
たぶん・・天国の母は「何をしてるんや!」と怒っているだろうなぁ・・(笑)
でも・・・
いつも私の近くに母がいてくれる気がしてならないんです・・・
暗い記事を書いてしまいました・・・すいません・・・
「親孝行」という言葉があるけれど・・・
世の中お金でもなんでもなく・・・
一番人間にとって大事なのは健康だと思うのです。
子供であれ親であれ健康で明るく生きていられる・・・
これが一番の親孝行だと私は思います。
私はもう・・・親孝行はできないけれど・・・
そして今日、辛い思いを私に1時間ばかり電話してきた・・・
励ますというより友人のこれからの人生をアドバイスした。
アドバイスできる様な人間では私はまだまだ未熟なんだけど思った事を伝えた。
電話を切ったあと・・・
私の母の事を思い出してしまった。
私は母が40歳の時生まれた。
周りの人は高齢もありおろしたらと言われたらしいけど・・母が拒否し続けたらしい。
私が小学2年の時・・・母が胃の具合が悪く始めて入院をした。
余りにも寂しいので母の病室で泊まって1ヶ月間病院から学校に通った事もあった。
それから中学2年まで入退院、手術を何度も繰り返し・・・
ある日突然余り喋らない父から母の命があと1年くらいしかないと告げられた。
そんな信じられない事を父から聞いた時何を思ったのか今も記憶がない・・・
ただ・・明日から母に対しどう接したら良いのかわからなかった・・・
急に優しくするのも変だし・・・かなり悩んだと思う・・・
中学3年に入る頃・・・母がまた入院をした・・・
同時に私が「膀胱結石」という病気にかかりすぐ手術をしなければならないと言われ・・
私も緊急入院した。
母とは病院が違ったけど母は無理に外出届けを出し
ず〜っと病院に泊まり私を看病してくれた。
前にも書いた事があるけど・・・
いつもの母の言葉・・
「さとし、あんた辛いやろ?でももっと世間にはさとしより辛い人が沢山いる。みんな頑張って治そうとしているんやからさとしも負けたらあかんよ!」
母の命もあと1年と既に父から聞いている私はその時何を思ったのかは不思議だけど覚えていない。
でもその時の母の言葉はしっかり覚えている・・・
私の手術は無事終わり母はまた入院している病院に戻った・・・
その頃の私の家は普通の家より少しお金持ちだったと思う・・・
姉はすでに結婚していて母が入院しているので実家は父と私だけなので食事を作る為に近くに家を借り住んでいてくれた。
母の病名は「胃癌」・・・
当時はまだ医療が進んでいなくて・・・
「放射線治療」がやっとできてお医者さんに勧められ父もお願いして当時では最先端の治療を母に受けさせた。
しかし高額な医療費が私の家に直撃した。
「丸山ワクチン」というのも父が手配してきた。あらゆる薬を父が聞いて手配してきた。
お金が底をつくと父は仕事の社長さんに退職金を前借してまで母の治療費にあてた。
そのおかげで母の1年しかないといわれた命が延びた・・・
私も完全に治ったのではないかと喜んでいたと思う・・・
一時的に退院もして明るい家庭が戻った。あの頃が一番うれしかったなぁ〜
私が高校1年秋・・・母が突然倒れふたたび入院・・・
3回目の手術をした・・・
手術した時、すい臓に癌が移転しててもうどうすることもできなかった・・
そして・・・私が高校2年生の春・・・・
病室で・・・母との最後のお別れ・・・
たぶん私は泣かなかったと思う。泣きたかったかもしれない・・涙はでなかった。
なんでだろう・・・
お通夜が終わり・・・
その夜、余り喋らない父がトイレに入って泣いていた声を聴いて・・
その時・・始めて私も泣いたと思う。
それからというもの母がいない寂しさもあったのか不良の道に進んだ事もあった。
しかし悪いのは自分自身の気持ちの問題!誰も悪くはない。
ここでは書けないがある事で父への反抗心をもって家を飛び出したこともあった・・
時が過ぎ・・・父も亡くなり十数年・・・
今でも、病院で病気で亡くなるドラマや映画はいっさい私は見れない。
あの病院での母との別れを思い出すから・・・
今でも1人暮らしをしている私だけれど・・・
たぶん・・天国の母は「何をしてるんや!」と怒っているだろうなぁ・・(笑)
でも・・・
いつも私の近くに母がいてくれる気がしてならないんです・・・
暗い記事を書いてしまいました・・・すいません・・・
「親孝行」という言葉があるけれど・・・
世の中お金でもなんでもなく・・・
一番人間にとって大事なのは健康だと思うのです。
子供であれ親であれ健康で明るく生きていられる・・・
これが一番の親孝行だと私は思います。
私はもう・・・親孝行はできないけれど・・・








